愛猫たち  Family  

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こども達が小さい頃、次々と庭に来るノラの仔猫たちを見過ごせず、里親探しをしたり、我家で飼ったりしました。
これは、その猫たちとの思い出のページです。
なにぶん20年以上前のことなので、古いものは写真をスキャナーで取り込みました。(ページの下ほど古いです)

17年間のうちには、多い時で飼い猫が4匹いた時期もありましたが、2007年1月に、最後に残っていたミーちゃんが16歳で他界しました。他の猫たちは2003年、2004年に老齢や病気で他界しました。
別れはつらく悲しいもので、何匹見送っても慣れることなんてできませんね。最後の日が近づいたとき、それぞれが見せてくれた「親愛のしぐさ」が忘れられません。
今は、我が家の『猫との共生時代』はこれで終わった・・・と思い定めつつ、懐かしみ、感謝する日々です。




最近のみーちゃんはとても甘えたになりました。
昔を思出すとものすごい変化です。
(2006年12月





すりすり   


てれっ


寝ちゃお〜








2006年初頭


部屋で過ごす時間が
増えました


2006年9月


一日の大半を
寝ています



<なつかしい姿です・・・>

冬の朝

しー君(携帯で撮影)

最後の写真に
なりました

かわいい生き物と共に暮らせた事に感謝






左上の「冬の朝」の光景は、寒いあいだ毎朝見ていたものです。朝起きると先ず一番にファンヒーターを点火します。
すると着火する音を聞きつけて猫達がそれぞれの寝床から集まって来ます。
にじにじと暖かい場所を取りっこする姿は笑えました。ファンヒーターの温風でそよそよしていた猫の毛や、まあるい背中・・・、今はひたすらなつかしいです。


タモ君


ある雨の夜、門の外でずうっと子猫の鳴き続ける声が。つい見に行き、つい抱き上げてしまって・・・。(もうウチのコにするっきゃ、ない?!)
生後2ヶ月くらいにはなっていたでしょうか、鼻炎と目ヤニと雨と泥でめちゃくちゃ汚れた子猫でした。

洗って、暖めてやり、ミルクを飲ませ、やれやれと双方見つめ合うと、子猫の目が片方ずつグリーンとブルーなのを発見!「きゃあああー、わーい」という歓声と共に、子猫は『さるやんごとなきお猫様の御落胤』というルーツになりました。
2、3週間のうちに両目ともごくフツーになりましたけど。

タモ君1歳の頃は生涯で一番太っていました。顔は子供なのに身体はおっさんみたいで・・・それが災いして、どこかの野良にケンカをふっかけられたのか、尻尾の付け根を噛まれて帰ってきました。
お医者さんで2cm×2cmほど毛剃りされて薬を塗られ、「逃げるところを後ろから噛まれた恥ずかしい怪我だぞ」と笑われて大ショック。以来、痩身になってしまいました。





目の色は?


生涯で一番太っていた


お腹fat!

ごみカゴに・・・
受け狙いさっ!

TVのトラに猫パンチ!

薔薇をしょって

脱衣カゴでウトウト

タンスと移動中



家族になりました

毎日が冒険

つかれた・・・

ミーちゃんとタモ(親子ではありません)

得意のポーズ・・・
水飲みはこうして


シー君とミーちゃん


ー君の母親がミーちゃんの母親も生んだので、シー君とミーちゃんは伯父さんと姪にあたります。そのせいか2匹とも鼻の右側にそれぞれの毛色の点があります。
警戒心がものすごく強いミーちゃんですが、シー君にだけは絶対の信頼を置いていました。シー君が大好きで、側に居ると安心してくつろいでいられたようです。

シー君はほんとに甘えん坊で、かまわれるのが大好きでした。ぎゅうう-っと抱っこしたり、頬ずりしたり、飼い主一家の突発性可愛がり発作にも嫌がらず、なすがまま
キュウリがパパなイイやつでした。顔も居ずまいもきれいで、野良出身なのに飼い猫の王道を行くコでした。ただ猫同士の喧嘩にはからっきし弱くて、若手の頃はよく怪我をして帰ってきました。足の包帯を外さないように首にエリザベスカラーを巻かれ、窓辺で憮然としていた姿が思い出されます。

 

ミーちゃんはいつもびくびくとアンテナを張って生きている感じです。
気が向くとたまに甘えてきますが、独自なルールで「飼い猫モード」と「自由猫モード」を使い分けているみたいです。
外で会うと逃げるときも(失礼しちゃう!)。元ノラでなく、仔猫のうちから飼われていたらもっと無邪気だったかもと思います。

メスの野良猫が生きていくのってほんとうに大変です。ついぞ私たちに親しもうとしなかったミーちゃんの母猫を見ていて思いました。自分の食べ物も十分に無いのに、子猫を生んでは必死に育て、置き去りにし、また次の子猫を生んで・・・数年もせずに姿を見かけなくなりました。


若き日の横顔

得意の水飲み

ポンポン大好き

この状況で寝られる
コトがすごい!


いつも一緒(コタツの中)



夕食後は膝の上で


どんな箱でも
入ってみる


玩具独り占めさっ!


寝顔は(も)可愛い



ボノ君


ボノ君は、追っても追ってもこの家に居座るんだとばかりに立ち去らない子ノラでした。最初から蓄膿にかかっていて、ずずずーっという鼻息で庭のどこにいるかが分かりました。飼うと決めてからは治療しましたが、やはり生涯病弱でした。

生活を共にしてきて猫っていろんな事が分かってるんだなあと感心すること多々ですが、中でもとりわけ利発なコでした。
夏みかんの赤いネットで作ったボールをキャッチするのが得意でした。
抱っこをすると、ちょんと鼻先を私の頬にくっつけました。私にだけするのが自慢でした。

若くて元気な頃のオス猫たちは皆よく遊びました。手術された飼い猫のオスって、食べるか、甘えるか、遊ぶか、寝てるかしかない感じですけどね。

シー君とボノ君は仲良しライバルで、どちらも甘えたの抱っこ大好き猫でした。
私やこども達と階段でカクレンボをしたり、荷造り紐にじゃれたり、たたんでいるタオルを引っ張りに来たり、そこらにあるモノを使って一緒によく遊びました。




家猫修行中
(まだダンボールが
好きなんだ)


まだ甘えたい〜


カマクラもどきに入れられちゃった


取りっこは
燃えるぜい!


で、疲れて仲良く

 

かりんちょ君


かりんちょは「とある」団地で生まれた野良猫「たまきち♀」の仔で、母猫が咥えて逃げてこの仔だけ処分を免れたのだそうです。
ある日、こどもの友達の黒いリュックに入れられて我家にやって来ました。初めて飼う事になった猫です。
きかん気で、すぐ爪を立て、おかげで私の腕は引っかき傷だらけ。外遊びが大好きだったので、ノラ仔だし、こんなものなのかしらと自由にさせていたら、ある夜、家に戻って来ませんでした。
ずいぶんと探し回り、1週間ちかく涙、涙でした。・・・いろいろ訊ね回って追々に分かった話では、いなくなった日の夕方に家からだいぶ離れた場所で事故死したようでした。後の世話をしてくれた人にも会いました。
1年足らずの縁で終わってしまい、あの時は猫1匹の事でこんなに涙が止まらないものかと自分でも驚くくらい泣きました。・・・それもあって、庭に来ていたノラちゃん達を飼う気持ちになったのだと思います。

5匹の仔猫は里親探しをして、動物病院のスタッフの方々のご協力でみんな貰われて行きました。何とか貰ってもらおうとその時は必死でしたが、毎夜一匹ずつ膝に乗せてノミ取りをしたのも良い思い出です。そんなことでもなければ、子猫を思いっきり抱くなんて日常ではありえませんから。
良い写真が無くてここには載せられないのですが、「ハナクロちゃん」と呼んでいた白いオスの仔は貰われて行ったお家で大切にされ、「おぼっちゃま」で暮らしているそうです。

残りの3匹はウチで飼うことにしました。庭に慣れていましたし、1歳も過ぎていて里子に出すにはちょっとばかし不良ぽかったので。でも、みんないいコになってくれました。

「茶トラ」は時おり顔を出すオスの親分猫で、仔猫を背中に乗せて寝たり、なにくれと可愛がるいいヤツでした。
我家にノミだらけのボノを連れて来ました。
ボノは幼かったのでそのまま飼い猫になりましたが、親分はある時から姿を見せなくなりました。


かりんちょ
(初代飼い猫)

かりんちょ(カーペットに甘えている)

ボノと仔猫(貰われて
行った)

親分と仔猫(貰われて行った)



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